かつて葉書2枚分ほどの小さな絵によって、人生を方向づけられた経験がある。それはレオナルド・ダ・ヴィンチによって描かれた聖母の顔の絵で、その前に立った瞬間前フリもなしにバッと涙が溢れて、意思とは関係なく流れて止まらないので戸惑った。後から振り返ってみて、自分は感動しているのだと気づいた。そこに描かれたものから愛という絶対的なものを受け取ったからだということに。自分の躯全体が、キラキラしている粒に包み込まれたような全肯定的な不思議な感じは今でも忘れられない。この後どのような形でも、絵画というメディアにずっと関わっていきたいと強く思った。
松濤美術館の中西夏之展。それから世田谷美術館の横尾忠則展。最後は神戸ギャラリー島田の川島猛展。先の2人の作品は私が高校生の時に、軽井沢のセゾン現代美術館で(その頃は高輪美術館といった)初めて見た。絵画に対する取り組み方はある意味対極別物なのだが、2人ともその時から大好きな作家。中西氏の思索的繊細さと、横尾氏のイメージの洪水。どちらにも圧倒され場を後に。
最後の川島猛展の会場は、生命力溢れる川島独特の形態が再構築されたモノトーンのコラージュがギャラリーに40点あまり飾られ、彼はこれをあと1000点創ると言う。これがいつもの彼のやり方だと知っていてもなおその制作に対する姿勢に、己の凡庸さを再認識した。日々是制作なり。
「芸術家とは、幽霊、幻覚、前兆、鐘の音など-----精霊が流れてくる水路以外の何ものでもない。」これは、作曲家・武満徹氏の著作の中で、イサムノグチについて述べられていた文章の中にイサムの言葉として取り上げられていた一文。もともと芸術というものが、一個人を超えたところから来るものだという認識が強かった自分の中で、これ以上的を得た表現はないと感動した。
いま自分の作品を見返すと、その至らなさを痛感させられると同時に、新たなイメージに対する渇望を感じる。宮沢賢治も著作農民芸術概論の中で、「無意識部から溢れるものでなければ多く無力か詐欺である」「諸作無意識中に潜入するほど美的の深と創造力は加わる」と述べている。自然、大いなるものと繋がった無意識から流れてくる水路を開いてその受け皿になる。私のような凡庸なものには難しいことではあるが、生涯かけて取り組んでみようと思っている。
今シーズンに入って初雪。雪が地面に積もってそこに反射した光が柔らかく風景を映している。パットメセニーグループのアルバム「FIRST CIRCLE」を聞く。高校時代の冬に買って初めて聞いた時、窓の外は雪景色だった。それ以来今でも雪が降ると聞きたくなる。部屋を暖かくして紅茶を入れ、シュークリームを食べながら聞いていると、曲と風景が自分の中でマッチして何だか感傷的になってしまった。同じような聞き方で勝手に浸っている音楽は他にも沢山ある。そんなロマン主義な自分に鬱。一月も終わりになってしまいましたが、今年も宜しくお願い致します。
庭にある桜の木から落ちた大量の落ち葉をドラム缶に集めてたき火する。何かを燃やすという行為は人間の根源的な営みで、ただそれだけで気分が高ぶる。懐かしい煙の匂いが、あっという間に着ている服に染みた。
中に知人にもらった鳴門金時を銀紙に包んで転がしておいた。遠赤効果で、焼き芋屋さんに負けないくらい美味しく焼けた。とろっとしていて甘く、洋菓子のモンブランのクリームに似た味がした。
先日来日中の川島猛氏とその友人達と一緒に、伊東の池田20世紀美術館へ佐藤正明氏の展覧会を見に行った。佐藤さんは川島さんと同じくNY在住で活躍しているアーティストの一人で、私がNYに行って間もない時アトリエにお邪魔して、その後にも一緒にギャラリーを巡り案内して下さった。ポップで緻密でイリュージョニスティックな作品が会場に飾られた様は、やはり強烈で説得力がある。
またこの場所を、かつて師事していた方々と共有したことで、初心に返る感覚にさせられた。私はまだなにもしていない。これから踏み出そうと。
四国松山のミウラート・ヴィレッジで開かれていた、NY在住のアーティスト川島猛さんの展覧会に行く。回顧展プラス新作といった内容はこれ以上無いというほど濃く、素晴らしい完成度だった。彼は最近アメリカでも再評価され、去年のNYでの展覧会はNYタイムズのアートの一面を飾った。また最新作もArt in Americaで取り上げられ評価されている。
私はNYに滞在していた間の2年ほど彼のアシスタントを務めていた。思い返せばこの時の2年間は、私の人生の中で最も濃密な一時期だった。NYという日本とはルールの違う場所で、前半は語学学校、後半は美術学校に通い、週2,3回は彼のスタジオで働き、空きの時間で自分の制作をする。またその合間にはギャラリーや美術館を見まくる。私にとってその時得たものは大きく、それなしには今の自分も無く、この先もそれが大きな糧となるであろう。今回の展覧会を見て改めて彼の仕事の厳しさを認識し、彼の傍らで制作に携われたことを誇りに思った。
先日携帯を機種変更した。本来私は買い物をする際、事前に吟味して良く調べてから買い、気に入った物をかなり長く使うたちで、携帯電話に限って言えば以前のものは3年以上使っていた。それが今回一年も経たずに変えてしまった。店頭で気になっていたデザインのものが安く手に入ると知り、フッと心が動いてしまった。
その日の夜、廃墟のようなところで何か漠然としたものに追われる夢を見て夜中に目覚めた。どうやらまだ十分使えるものを無駄にしたという罪悪感が変な悪夢を見させたらしい。ああ、私はなんてもったいないことをしたのか。ゴメンね。前の携帯電話。この日、もう二度と今日のめまぐるしく速い消費サイクルと情報に惑わされずに、物を大事に使おうと心に決めたのだった。